2026年3月5日、李強・国務院総理が全人代(第14期)第4回会議において「政府活動報告」を発表しました。本報告は、過去1年の実績総括、次の5年間の計画(2026〜2030年)の骨格、そして今年度2026年の具体的施策の三部構成であり、中国の国家意志が最も集約的に示される政策文書です。内容のポイントは、経済成長エンジンを従来の不動産等から技術革新主導の「新たな質の生産力」への完全シフトです。科学技術の自立・自強がうたわれ、AI、半導体、量子技術・航空宇宙に加えて「バイオ新薬」といったハイテク分野が国家戦略の最優先事項になっています。
本稿では、創薬・バイオ医薬品・医療制度に関連する分野を中心に解説します。
1. 過去・2025年の総括 ── バイオ・新薬が「新たな質の生産力」の象徴に
1-1)バイオ・新薬の躍進が国家の科学技術発展の成果として明記
過去1年の総括として、「新たな質の生産力」が着実に発展し、その具体例としてバイオ・新薬がAI、ロボット、量子科学技術等と併記され「研究開発・応用は世界の最前線を走った」としています。
昨年年7月に公布された「新薬の質の高い発展を支援する諸施策」に象徴される一連の新薬推進策が、政府活動報告レベルで「成果」として追認されたことになります。中国がジェネリック製造国から新薬創出国へ転換する流れは、もはや不可逆的と見るべきでしょう。
1-2)医療保険・薬価制度の進展
2025年の民生分野では以下の施策実績が報告されました。
- 医薬品の集中購買の最適化:集中購買(VBP)の運用がさらに最適化されました。
- 商業健康保険の新薬目録を公表:基本医療保険でカバーしきれない高額新薬について、商業保険による償還ルートが制度化されました。これは、2025年7月の政策文書で予告されていた施策の実行であり、中国で新薬を上市する企業にとっての収益回収の環境が大きく改善したことを意味します。
- 長期介護保険制度が3億人をカバー:高齢化対応として介護保険の対象が急拡大しました。
日本企業にとっての注目点は、商業健康保険の新薬目録の整備です。従来、中国での新薬の研究開発促進のネガティブ要員として「基本医療保険の薬価交渉で大幅に値下げされ、研究開発投資の回収が困難」という点にありました。商業保険ルートの制度化は、中国企業の新薬収益力を底上げし、研究開発への再投資を加速させます。これは、中国発の革新的パイプラインがさらに充実することを意味しており、中国の創薬企業がライセンス・アウトする候補品の質・量の両面での向上につながると考えられます。
1-3)第14次五カ年計画の総括 ── R&D投資は年平均10%増
過去5年(2021〜2025年)の計画期間中の主要成果として、全社会の研究開発費が年平均10%増加し、価値の高い特許の保有量が増加し製造業の付加価値規模が16年連続世界第一位を維持したことが述べられています。
GDP5%成長を上回るペースでR&D投資が拡大し続けた事実は、バイオ・新薬を含む先端産業への資金投入が構造的に継続していることを示しています。
2. 将来・5年間の計画 / 第15次五カ年計画(2026〜2030年) ── 「健康中国」と「新興基幹産業」
2-1)主要目標の指標に見る方向性
次期五カ年計画綱要(草案)では20項目の主要KPIが提示されました。創薬・医薬品産業に関連する主なものは以下の通りです。
- 研究開発費の年平均成長率7%以上:過去5年間の計画と同水準を維持し、引き続きR&D投資を拡大する方針。
- 平均寿命を80歳に引き上げ(現在79.25歳):「健康中国」建設の中核指標であり、医薬品・医療機器分野での需要の持続的拡大の裏付けとなります。
- デジタル経済のコア産業のGDP比を12.5%に(現在10.5%超):AI創薬やデジタルヘルスの基盤となるデジタル経済の拡大。
- GDP単位当たりCO2排出量を累計17%削減:グリーンケミストリーや環境配慮型製造工程への転換圧力が製薬工場にも波及。
2-2)バイオ・新薬、国家戦略の「新興基幹産業」
五カ年計画の重大戦略テーマとして「新しい質の生産力の発展」が第一に掲げられ、その中で先進製造業を骨幹とする現代化産業体系の構築が謳われました。バイオ・新薬は2026年の政府活動任務(後述)で「新興基幹産業」と位置づけられており、五カ年計画を通じた重点育成対象であることが明確化されました。
また、「健康中国の建設」は五カ年計画の民生保障分野における25項目の重大プロジェクトの一つとして明記されています。
2-3)日本企業への示唆 ── ライセンス・イン/アウトの好機
五カ年計画の記述から読み取れるのは、中国政府がバイオ・新薬産業を「AI・半導体と並ぶ国家戦略産業」として今後5年間も育成し続けるという明確な意思です。
日本の医薬品企業にとって、これは中国企業からのライセンス取引の好機がさらに広がることを意味します。国家的な資金・人材・制度面の支援を受けた中国のバイオテック企業群からは、従来の低分子医薬に留まらず新しいモダリティー(ADC、二重特異性抗体、核酸医薬、細胞治療、次世代免疫療法など)でのグローバル競争力を持つ革新的技術に基づくパイプラインが次々と生まれています。すでに欧米メガファーマはGSK、AstraZeneca、Roche、Novo Nordiskなどを筆頭に、中国企業からの技術導入を加速させています。日本企業としても、このライセンス・イン/アウトの潮流に乗り遅れることなく、中国発の有望な新薬候補・技術プラットフォームを積極的に評価・獲得していく戦略が求められます。 また、日本のバイオテックから生まれた新技術を中国バイオテックと連携しながら製品へと仕上げていく可能性が大きく広がることを意味します。
3. 2026年の施策 ── 具体的な産業政策と規制環境の変化
3-1)バイオ・新薬を「新興基幹産業」として構築
2026年の政府活動任務の中で最も注目すべきは、「新興産業と未来産業を育成・壮大する」の項目です。ここでは「集積回路、航空宇宙、バイオ・新薬、低空経済(ドローン等の活用)などの新興基幹産業を構築する」と明記されました。
バイオ・新薬が集積回路(半導体)と同列の「新興基幹産業」として名指しされたことは、同産業への政策的支援(補助金、税制優遇、審査迅速化、人材育成)が今後さらに厚みを増すことを示唆しています。
加えて、未来産業とし「ブレイン コンピューター インターフェース」が列挙されたことは、神経科学領域やCNS(中枢神経系)創薬との接点において新たなビジネスチャンスが生まれる可能性を示しています。
3-2)バイオテクノロジー分野の対外開放拡大
対外開放の項目では、「バイオテクノロジー、外国資本独資病院などの分野の開放試行をさらに拡大する」ことが明記されました。これは、外資企業による中国国内でのバイオテクノロジー事業展開の規制が緩和される方向を示すものです。
日本の製薬企業にとっては、中国国内でのデューデリジェンス活動、共同研究、技術評価などが行いやすくなり、ライセンス・イン、ライセンス・アウトの意思決定プロセスを加速できる可能性があります。ただし、「開放試行の拡大」は全面解放ではなく段階的なものであり、具体的な適用範囲や条件については今後の実施細則を注視する必要があります。
3-3)新薬・医療機器の質の高い発展
医療衛生に関する施策では、以下の記述が注目されます。
- 「新薬と医療機器の質の高い発展を推進し、国民の多元的な医療・服薬ニーズにより良く応える」:新薬の振興が政府活動報告の正面テーマとして盛り込まれました。 -「商業健康保険の発展を加速する」:2025年に発表された新薬目録をさらに発展させ、新薬の市場アクセスを改善する方向です。
- 「医薬品の集中購買と価格管理を最適化する」:集中購買P制度の「最適化」という表現は、これまでの急激な薬価引き下げからの軌道修正の可能性を含んでいます。
- 「医療・医療保険・医薬の協調的発展とガバナンスメカニズムを整備する」:いわゆる「三医連動」改革の深化であり、個別対応でなく、医療サービス、薬価、診療報酬、保険制度の一体的な見直しが進みます。 -「漢方薬の継承・革新を推進し、中国・西洋医学の融合を促進する」:漢方薬(伝統中国医学に基づく医薬品)の現代化も引き続き推進されます。
3-4)科学技術金融とベンチャー投資の強化
創薬エコシステムを支えるファイナンス面でも重要な記述があります。報告では「国家創業投資誘導基金を効率的に活用し、ベンチャーキャピタル、エンジェル投資を大いに発展させ、政府投資基金が率先して継続的投資と支える資本となる」ことが示されました。
また、「基幹核心技術分野」の科学技術型企業に対し、上場融資・M&Aの『グリーンチャネル』メカニズムを常態化して実施する」との方針は、バイオテック企業のIPOやM&Aによる出口環境の改善に直結します。それによって、バイオ医薬分野への更なる投資が推進されます。
これらの施策が実行に移されれば、中国のバイオテックへの投資環境はさらに改善し、創薬パイプラインの充実が加速すると見込まれます。日本企業にとっては、ライセンス・インの候補となる中国バイオテックの裾野が広がり、より多様なモダリティー・疾患領域から有望なプロジェクトを選定できる環境が整ってきています。一方で、欧米企業との獲得競争も激化するため、早期の情報収集と迅速な意思決定がこれまで以上に重要になります。また、開発資金獲得面の観点でも日本のバイオテックの中国連携の加速が期待されます。
3-5)その他の関連施策
- 「健康優先発展戦略を実施する」:ヘルスケア産業全体に対する政策的追い風です。
- 「食品、医薬品、重点工業製品、特種設備などの安全監督管理を厳格化する」:品質管理・薬事規制の厳格化は、GMP基準の引き上げや査察強化につながる可能性があります。
- 「AI+」の深化・拡大:AI創薬への政策的支援が継続します。「重点業界分野のAIの商業化・大規模応用を推進する」との記述は、AIを活用した標的探索・臨床試験の最適化などへの追い風となります。
まとめ ── 日本企業にとってのライセンス・イン/ライセンス・アウト戦略の追い風
第一に、バイオ・新薬は中国の国家戦略産業です。半導体と同列の「新興基幹産業」と位置づけられ、五カ年計画を通じた長期的・構造的な支援が約束されました。中国のリソース、資金・人材が優先的に配分されることから、中国発の革新的パイプラインは今後も質・量ともに拡大し続けます。 従って、日本企業が自社のパイプラインを強化するうえで、中国は欧米に並ぶ重要な新薬ソーシングの源泉となっています。日本のバイオテック等の自社の新薬関連技術に基づく中国企業との連携の機会も増加します。
第二に、中国の創薬を巡るエコシステムが成熟段階に入っています。商業健康保険による新薬カバー、集中購買制度の「最適化」、科学技術金融の強化といった施策は、中国バイオテックの経営基盤を安定させ、より本格的な新薬研究開発を可能にするものです。経営基盤が安定した企業との提携は、開発中断リスクの低減にもつながり、日本企業にとっての信頼性が向上します。
第三に、バイオテクノロジー分野の対外開放が拡大します。外資企業の中国国内でのバイオテクノロジー事業展開に対する規制緩和が進む方向が示されました。これは、日本企業が中国のバイオテック企業とより深い協業関係を構築しやすくなることを意味します。現地でのデューデリジェンスや共同研究の障壁が低下する可能性があり、ライセンス・インの意思決定を支える環境が整いつつあります。
2025年が中国バイオ・新薬産業の「潮目が変わった年」であったとすれば、2026年はその変化を制度的に固め、さらに加速させる年と位置づけられます。欧米メガファーマが中国からの技術導入を急ピッチで進めるなか、日本の医薬品企業にとっても、中国発イノベーションのライセンス・インを本格的に推進すべき時機が到来しています。更には日本のバイテックが中国連携を通じて自社プロジェクトの開発を推進する機会が訪れていると言えます。
尚、前期の五か年計画の国家計画を踏まえて、重点モダリティー・疾患領域等の詳細は、年末にかけて、部門計画として、「医薬工業発展計画」等が公表されていく予定であり、ウオッチしていく必要があります。
